最近忙しく、あまりに忙しくてブログを書いている場合ではありませんでした。
一説によると、GAFAの一企業では人に忙しい忙しいと言う人ほど仕事ができなくて、優秀な人ほど周りに暇をアピールするんものなんだとかなんとか。
おや…? ということはこみるは仕事ができなかったのか。
飲み込み悪目の三菜は、私に似たのかもしれません。
仕事のできないこみるは忙しさのあまり、気性がやや荒めになっており、よって書くこともややひねくれて刺々しいような気がしております。(2020年10月現在)
では本題です。
かつて通塾してた頃「宿題の管理をしてください、4教科それぞれ宿題が出ますが、全部はできないですから。その取捨選択はご家庭で判断を。子供が分からない内容を親御さんが教えなくていいです。質問に来てください」と言われていました。
しかし、この「教えなくていい」は飲み込み悪目の子を持つ親的には、ほんっとーーに疑問でして、「親は管理だけ」で成り立つのは一握りの優秀なお子様だけでは?と思います。
取捨選択も悩みどころ。三菜仕様の取捨選択についてはこれまた別エントリー予定
家で教えないわけには、いかなかった…よ?
過去のブログにも書きましたが、三菜が通塾していたときの彼女の授業に関する記憶っぷりはこんな感じでした。
授業の翌日宿題をやろうとしますと「はて、どうやるんだったのかな」という事態が多発。あやふや、または、キレイさっぱり忘れているのです。ノートを見ても宿題処理不能なこともあり、なかなかハードでした。この子は塾に行って話を聞いてきている…のよね?
ただ、母も、この状況を漫然と放置していたわけではありませんでした。
塾の後「今日は何したのかな?」と会話するとそれだけで復習になります説
ええ、勿論やりましたよ。
そしてそのように聞けば、三菜は「つるかめ算やった~!」とか答えるわけですね。
「どんな問題?」と踏み込むと、「あー、みかんとリンゴを何個か買ってとかそういうやつ」。
飲み込み悪目の子だって、塾から帰ってきたホヤホヤでしたらその程度は覚えています。
ただ、残念ながら「その程度」に過ぎないのです。
翌日には、はて、どう解くんだっけな??…と、キレイさっぱり。
なんてことも珍しくはなかったような。
定着の「テ」の字にもなりません。
かといって、定着のために、塾から帰って来たその後に、もう一度家で問題を解く気力もなければ時間もございません。22時半にはとっとと寝ないと三菜は体調を崩してしまいます。
「今日は何をしたのかな?」程度の会話で授業の内容が夜の間に頭の中に浸透し定着するのは、そもそも授業中に内容が8割がた腑落ちしてるような極めて飲み込みの早いお子様ではないかと思料いたします。
「あら、うちはそれで成り立っているわよ」という方はラッキー!『普通だと思っていたことは、実はラッキーなことである』ことを今一度しっかりと認識し、そういった苦労が無い分、他のことに心血を注ぎましょう!
授業を受ける「心構え」を子に言い聞かせ、塾でちゃんと理解して帰ってくるようにさせる
そもそも三菜の「授業への取り組み姿勢」がなってないんじゃないの?授業中に理解しよう!覚えよう!としてないから忘れちゃうんじゃない?
それは、そう思いました。
授業中に理解をしようと努め、「ああ、そういうことか!」と塾で得るものが多ければ多いほど、家で分からなくなるなどというトラブルは少ないはずです。ですので、
塾で授業をどう聞けばいいか。
ただただノートをうつすのは意味がない。
どうしてそういう式になるのか、先生の話を聞きながら授業中に考えるんだよ。
理解するというのは「ふーんそうなんだ」と思うだけでは足りない。
問題を見て解いたときに「こうでこうでだからこうなんだ」と人に説明できそうなくらいになっているのが理解した、ということである。
問題を解いてみて、なんだかわからないぞ?…という時は最後に先生にもう一度聞いてくるんだよ。
…などなど、あれこれ言ってきかせて諭しましたよ。
ですが、なんというか。
自分で腑落ちする状態まで持っていこうとは本人も思っていて、そのつもりで授業に臨むのだけれど、腑落ちまで持っていけない。
子の幼さが故に腑落ちまで持っていけないという甘さにつながるのであれば、その幼さをどうにかしたいところですが、幼さがどうにかなるころには中学受験自体が終わっていそうです。
または、ひょっとすると幼いかどうかではなく、授業中に腑落ちまでもっていけるだけの資質がそもそも無いのかもしれません。
元もこもないこといわれると、何とも言えない、にがーい気分になりますな。
親があれこれ言わず、子供に任せれば自ら学びます説
お次は、授業の受け方はこうしろああしろと親が過干渉であったり、親がわからないところを教えたりするから、かえって子が自ら学ぶようにならないんだ説。
ああ…卵が先かニワトリが先かの永遠に答えが出ないヤツ
三菜のお友達で御三家のひとつに見事合格されたお子様がいたのですが、この子は、小さい時から本当に「すごい」子でした。その「すごい」エピソードは多々あるのですが、そのうちの一つをご紹介します。
小学校に上がる前の話になりますが、その子の母と喋っていましたら「家族旅行に行く際に、子が旅のしおりをつくってくれる」というのです。
ご両親は割とずぼらな部類(すみません…)で、聞けば行き当たりばったりの電車に乗ったりしても気にならないタイプ。よって「旅のしおり」なんて作ったこともないし作る気もないんだそうですが、通っている保育園の遠足のしおりに子が感銘を受け、家族旅行が決まると、行き先の見どころを検索し・電車の時間を調べ・何時に何をするかをまとめた、所謂「旅のしおり」を作るようになったんだとか。
ちなみにご両親は読み聞かせは面倒だから殆どしない主義だと仰っていましたが、この子はおすわりできるくらいの赤ちゃんの頃からいつもベビーカーに座って本をめくっていました。で、いつのまにやら、勝手に本を読むようになったとのこと。就学前、静かに読書しているのを見かけたので、何読んでいるのかな~??…とこみるがふとのぞいたら、既に挿絵がほぼない文庫形式の書籍を読んでいたので、ひっくり返りそうになった記憶があります。
三菜が赤ちゃんの頃といえば、本は気づくと食べてたぞ?
あんなに読み聞かせしたのにな。
しかし、まぁ、読み聞かせって、一体何だったんだろう
読み聞かせの是非はさておき、そもそも出来のいいお子様は、親に言われたり諭されなくたって、自分のすべきことをハナから分かってるし、取り組むし、自ら学んでいけるので、よって自主性にまかせても大丈夫なのです。つまり、まかせてOKかは「ほぼ資質の問題」といって間違いないのではないか、と思うのです。
その資質とやらも、お前の子の育て方が悪くて自ら取り組まないようになったのである、と言われれば反証もできないので「むぅ」と返す言葉もありませんが、ともかく現時点において、我が子は言われずとも自ら取り組むような状況ではない。
そういった子に対して親がアレコレ口出ししない場合、中学受験はどうなるのか。
チンケな理解度や成績でさしてやる気がない子でも、自主性に任せて放っておいたら成績が爆上がり。生活習慣を整えていたらいつの間にかやる気に満ち溢れた!!…その率、90%…なんちゅう展開になるとは、とてもとても考えにくいです。
飲み込みの悪い子に「親が教える」ことが皆無だなんて、とても考えにくい
ともあれ、少なくともY80偏差値50前後の子の場合、親が全く教えなくていい状態なんかじゃ無いんじゃないかと思えます。
Y偏差値50前後って中学受験のボリュームオブボリュームゾーンよ。
「親が教える必要がある」状態の子の頭数は、相当数いるんじゃないかな。
それでも「親が教えてはいけない」と言われるのはなんでだ
方程式を教えてしまうから
これは中学受験における不文律のようなものでしょうか。
そもそもこみるは、予習シリーズのテキストを見るとか、進学くらぶの動画・スタディサプリの繁田先生の動画を一緒に見ないと、子に教えられる気がしないので、方程式で教えてみたほうが早いんじゃね?…などという発想もわきません。
したがって方程式推進派ではありませんが、便利な道具をはじめから与えると試行錯誤しない=解けたときの感動もなくなる=よって算数が好きにならない…とか書いてある記事のような理由は、ちょいと懐疑的です。だって、試行錯誤させる以前に算数が好きでない子もいますからね。ほら、ここに。
また、消去算なんか、xの代わりに「み(みかんの「み」)」を使うだけで、連立方程式じゃない?…とも思うので、つるかめ算でも方程式のやり方で「ああ、そういうことか」と子がしっかり腑落ちできるなら使ってもいいんじゃね?…とは思います。
さっきも言いましたが、こみるは参照するツールが無いと一緒に考えられない+教えられないので、三菜はつるかめ方式でした
親子間の関係が激的に悪くなるから
親が子の隣に陣取り、一緒に考えたり教えたりすると、まずろくなことがありません。
これは中学受験期間において子を教えたことのある親御さんなら、皆さん1度は経験があるハズだと思いますが、どういうわけか子は不貞腐れ、親はイライラします。
これは遠山の金さんが最後に桜吹雪を見せるのと同じくらいの決定事項です。
こみるは何度予習シリーズを投げたことか。
そうしますと、子は更にやる気レスに、親は益々イライラ。
家庭内の空気は最悪です。
そんな状態になるよりは、塾に質問に来てもらったほうが関係者みんなが幸せであろうから、親は教えてくれるな。そんな理屈で塾はそう言ってるのかもしれません。
嗚呼、なんて素敵な心遣い。
ですが、親が教えないといけない子の頭数は相当数であるという仮説が正しいとしますれば。飲み込み悪めの子達が質問するために塾の先生のところに押しかけることになり、塾の授業終了時に毎回先生のところには大行列ができましょう。質問が終わるまで先生も子も帰れま10。
それに、そんなすさまじい行列の光景は三菜から聞いたことがないので、「親が教えるな」は塾の心遣いだったとしても、およそ本気ではない気がします。ホントにそうなったら質問の子の群れをさばくのは、非現実的。不可能。
子の自主性が育たなくなるから
これは前述のとおり、ニワトリが先か卵が先かの話なので、割愛。
こみるの意見としては、親が過干渉だから自主性が育たなくなるんじゃなくて、自主性がないから親が過干渉になるに一票です。
注)飲み込み悪目の子の中学受験勉強という文脈においてです。
ママ友は「ホントのこと」は教えてくれないかもよ
さて、こみるの想定では、相当数の子は家で親もしくは家庭教師もしくは個別指導などで今一度教えてもらっていることになるのですが、不思議なことに通塾していた時、どのママ友に聞いても
「もー、私なんて全然教えられないからぁ〜。」
「塾の他に個別とかやってる余裕ないしぃ~。」
「わからないから全部塾にお任せ」
…って答えが返ってきていました。
これは一体全体どういうことでしょう?
ホントのホントのホントに他の親は一言たりとも教えたことがないのか??
こみるはホントに疑問でした。
いや、三菜だけが特別飲み込み悪めだったんじゃないの?
飲み込みが悪めなのは事実ですがね。
三菜が塾なしにしてしばらくたったある日、1人のママが「実はね…うちはパパが土日つきっきりで指導してるのよ」と告白してくれました。ちなみにこちらのお子さんは某大手進学塾+パパ指導により、御三家のひとつに見事合格されてます。※先出の御三家のお子様とは別のお子様です
なんと、こんな優秀なお子さんですら、塾だけではなくパパの熱血指導が必要だった。が、こんな話も三菜が無塾者のアウェイになったからコッソリ言えたようなものではないかと推察。
さらに妄想しますと、
◆塾の先生が「教えなくていい」と言ってるのに「教えないとついていけない」うちの子って頭悪いんじゃないか疑惑でお恥ずかしくて口に出せない
◆親まで教えて必死でやってるのにもかかわらず、この程度の成績?…と思われたくない親の見栄
…などから、内心「ホントはうちも鬼の形相で教えてるんだよね」と思いながらも、涼しい顔して「全然教えてないしー」とか言ってるんじゃないかと思ってみたり。
あー、でたね、こみるのひがみ妄想。
ええ、ひがみ根性の強い母の、ただの妄想です。
妄想ではありますが、ママ友(の子)は同志であると同時にライバルでもあるわけで、弱みはみせられないと心のどこかで思ってしまうのは、ある意味人間としては正しい姿かもしれないというのも理解はできます。
だいたい、中学受験におけるママ友という存在は、よい側面も勿論あるでしょうが総じて厄介なものです。ホントのことなど教えたくないと思っていたとしても、会えば子についての話をそれなりにしなくてはいけないのですからね。試される処世術、といったところでしょうか。
中にはお互い切磋琢磨で親子ともに同志!なんてケースもあるかもしれませんがね。ほとんど聞いたことないな。
ひょっとすると、塾は必死で教えてる親の存在に気づかないフリしてるのではないか説
受験時期に「ひょっとして親が家で必死こいて教えているという事実に塾は気づいておらず、塾の指導だけで子達がその現状を保っていると塾は勘違いしているのでは?」…とこれまた密かに妄想していたこともありました。
塾の先生は「家で教えると、親子関係がおかしな展開になるから、家では教えずに塾に質問に来てください」という。でも、子供は早く帰りたいし、親も早く帰らせたいし、だいたい毎回並ぶのは子も嫌なので全員は質問しない。というか全員に質問など許したら夜中までかかっても終わりそうにない。
で、わからん状態のまま家に帰った子が宿題をすると、「はて?」と手詰まりになるので、家で親が教える。当然家は猛烈険悪ムードになるけど、他のおうちは「家では教えていない」と言っている。
うちだけ血眼になって教えてるなんてママ友には言えないわ。
でも、教えなければ次の単元も始まっちゃうし、ここは教えとかないと。
塾からは教えないでと言われているのに、ガンガン教えてますとか言えないよな。
一方塾の方は、質問には数人しかこないけど、皆よく宿題もしてきてるってことは、塾の授業で理解しているのであろうと思う。
ほらね、家で教えなければ、皆できるようになってるでしょ?(以下、繰り返す)
こみるの妄想はまだ続きます。
いや、これ、もしかして勘違いなんじゃなくて、塾は気づかないフリをしているのでは?
高吸水性ポリマーもビックリの吸収力を持ち塾の授業を1度聞いただけで10が分かる子なんて、恐らく上位数パーセント。ノンポリマーたるその他大勢のボリュームゾーンな子たちは1度の授業だけでは全ての理解は出来ないわけですが、そんなノンポリマーたちが毎度毎度授業の後に大挙して質問に押し寄せて来たりしたら、時間的に塾の運営が破綻するのは明白です。でも、どういうわけか帰れま10になるほど子は質問に来ない。
まぁいいや。よくわからないけど、みんな宿題をちゃんとこなして涼しい顔して通い続けてる。ご家庭では教えないでくださいといってるのにねぇ。どうしてかなぁ。
あ、そうか。「質問に来なさい、家では教えるな」と言っておけば、いいのかな?
実績は塾のモノですよ。
注)何のデータおよび検証もない、こみるの勝手な妄想です。虚言。
勉強は家で教えてもよいのである
妄想ですので、ホントのところ塾がこういったことを考えているかは知りませんが、大手進学塾というものは、ある程度、個別・家庭教師・または家庭でのフォローありきでの運営なんじゃないかと思います。
2月の勝者でも課金とかなんとかいってたぞ。親が教えるか、課金か。
でないと、飲み込み悪目組は宿題解けないよ?
塾で習ってきたはずのことを家で教えてやるだなんて、正直何のために高い金を払っておるのだと悲しくなりますが、ここでひとつ考えを変えてみますと、家で親が教える・家で親が一緒に考える、は実は相当「有用」だと思うのです。塾など頼る先の無い、塾なし中学受験でしたらなおのこと。
なぜならば。
一度で子が腑落ちしないが故に、親が子と一緒に考えてみたり、わからないところのスタディサプリを共に見てみたりしながら、子の解き方など見ていると、おのずとその子の状況・傾向も見えてまいります。
これが見えればしめたものです。
宿題等で子がどこまで分かっているのかが見えているということは、子が正答できるはずの問題と、そうではない問題があらかた分かるということです。
それが分かっていれば、テストに出たある問題はその時点の我が子にとって出来なくても当たり前と判断できたりと、他者との比較ではなくその時点のその子にとっての出来栄えを判断してあげることができるでしょう。少なくとも偏差値や合格可能性の数値のみで一喜一憂してしまう事態は少なく済むはず。
…とそう思うのです。
これができるようになったから、次はこれをできるようにしようという指示もできるようになるので、一日のやるべき量を明確に提示することができるようになります。
そしてムダを省くことにより勉強の時間を捻出できたり、結果として部活や旅行の時間も捻出できるようになる。子のいろんなことをあきらめない、無理の少ない受験勉強に近づけることが可能なのでは、と思うのです。
ということは?やっぱり飲み込み悪目の子が中堅中学を目指す場合は、大手進学塾っていらないんじゃない?…という気もいたします。金も払って親も教えてでは、金もなくなり時間も無くなりダブルパンチですからね。
飲み込み悪目だなと思ったら、「教えちゃだめ」と言われていても、一緒に考え、教えてもいいのです。親の方もしんどいですが、親が一緒に考えたり、教えたりすることで、見えてくることはたくさんある。これが中学受験を終えた、こみるの感想です。
※もちろん、外注もアリだと思います。課金で個別やカテキョ―が同じ役割を担ってくれれば万事解決。
仕事で気がたちすぎて、気づいたらすごい文字数だ。一旦おしまい。
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