組分けテストや週テストを受けると「偏差値」が出てきます。
当然ですが、素点もそう。150点満点中△点とか。
あと、正答率なんかも出てきますね。
親はだいたいこれに一喜一憂しませんか?
「勉強頑張ったのにこの前よりも偏差値がダダ下がりだわ~」
「過去最高!もう少しで〇〇学校の80偏差値に届きそう」
「平均点がこんなに高い!それなのにうちの子…」
「この子、正答率50%の問題も落としてる…」
…とかですね。
素点や偏差値のポイントがダダ下がりの時は、なんなら子より母親の方が落ち込んだりして。ついでに怒ってみたり。三菜が4年でまだ通塾していた頃は、こみるも三菜のとってきた素点と偏差値で血圧が急上昇したような記憶がございます。
更年期もあいまって、何故か急に涙がでてきたりね
「ダメなところを指摘ばかりしていないで、子のがんばりを褒めましょう」なーんて言われましてもねぇ。いつも右肩上がり、とか、いつもトップ・オブ・ザ・トップの立ち位置、とかだったら褒めポイントも多数ありましょう。しかし、態度もイマイチ、成績が地を這いつくばってる我が子の一体どこを褒めればいいのやら。
…ということで、子が中堅校を目指す組でチンケな成績をとってくるとお悩みの同志の皆様。
・テストの結果で見るべきところって偏差値や素点だけでいいの?
・褒めポイントってここじゃない?
…なんてことについてこみるが考えた話を、三菜のことを振り返りつつ、2回にまとめてまいります。
1回目の本日は、「子を褒めるために見るところってどこだ。見るところは偏差値や素点だけでいいの?」ということについて。
魂が抜けそうなほど悪い偏差値を目の前にしても、仏のような安らかな心でいましょう!…なんていうストイックな精神論ではありませんから、ご安心を!
三菜劇場~ある組分けテスト~
こんなケースを考えてみたいと思います。
~三菜の受けたある組分けテスト~
算数テスト範囲のテキストに載っていた問題は、A、B、C、D、Eの5つありました。
※こんなに少ないわけないですが説明上そうします。
で、我が子はテスト前の問題演習において
=============
・Aタイプの問題は、スラスラ~と解けて、他人に説明もできる。
・Bタイプの問題は、スラスラ~と解けて、他人に説明もできる。
・Cタイプの問題は、えっとー、と思い出しながら解ける。
・Dタイプの問題は、教えてもらってふーん、なるほどね、という感じだった。
・Eタイプの問題は、教えてもらってもイミフだった
=============
…という状態で、模試を受けました。
子の結果は、A=〇、B=×、C=×、D=×、E=×全体的にバツだらけで、偏差値は前回から10ポイントもダダ下がりでした。チャンチャン。
さて、ここで母は、どうする?
この結果をどう受け止める?
どうやって褒める?
無理無理無理!!褒められない!
「どうしてこんなに下がったの!?」とイライラする。
「こんなにできなくて」と落ち込んでオイオイ泣く。
そうなの、子のチンケな成績を前に、イライラしちゃうんです、泣いちゃうんです。
こみるも、三菜が通塾しているときはそうでした。
でも、ブッブ―。
大人が素点と偏差値だけ見て一喜一憂したりするのは愚の骨頂!
愚の骨頂は言い過ぎかもしれませんが…だって、前よりポイントが上がったか下がったかや、点数の数字が100に近いか遠いかなんて、数字の大小が分かる小学1年生だってわかっちゃいそうな気がしません?そんな単純なことで大人ともあろう者が一喜一憂して良いわけがないような。
テストを受けると何がわかるんだっけ?…をここで振り返ってみる
ここで、テストを受けると何がつまびらかになるのかーテストを受けることにより何がわかるんでしたっけ??…を振り返ってみます。このあたり、人により捉え方は大分違いそうな気も致しますが、大きく2つじゃないか?…とこみるは考えます。
①母集団における自分の立ち位置
②自分の理解がどれだけ進んだか(理解度)
前者は、今の子の状況を他人と比較してわかること。後者は、勉強をする前の自分とした後の自分との比較でわかること。
テスト前における子の理解度が示すもの
子の出来なさ度合いに頭が怒りでいっぱいになる前に、今一度、得点で来ていた問題と、得点できなかった問題をじっくりみてみます。
得点できていた問題、得点できなかった問題は、子にとってどんな問題だったでしょうか?
・Bタイプの問題は、スラスラ~と解けて、他人に説明もできる。
・Cタイプの問題は、えっとー、と思い出しながら解ける。
・Dタイプの問題は、教えてもらってふーん、なるほどね、という感じだった。
・Eタイプの問題は、教えてもらってもイミフだった
おい! A、Bはともかく、C、Dだって、テストの前に解けたんじゃないの?「わかったー♪」とか言ってたじゃん。なんで得点できないのさ
三菜のことを振り返りますと、残念ながら飲み込み悪目さんの場合、
・Cの「えっとー、と思い出しながらできる」
・Dの「教えてもらって、ふーんなるほど」
…のレベルは残念ながら「得点可能」の部類には入りません。
なんてこった!
これ、御三家を目指せるような優秀なお子様でしたら、「ふーん、なるほどね」レベルで解き方が瞬時に自分のものになるでしょうから、本番のテストで得点もできましょう。
ところがです。
三菜のような飲み込み悪目さんの場合、「ふーんなるほどね」レベルで本番の問題にとりかかっても、「あー、見たことあるな、どうやるんだっけ?」となり鉛筆は走らない。つまり得点はできない。できたとしても、まぐれに近い。…というのが、通塾をやめ、三菜の勉強をそばで見てのこみるの所感。
つまり、三菜のような飲み込み悪目さんが得点するためには、
・体が覚えていて、サラリと解け かつ 他人に「どうしてこういう式になるのか」を説明できる
…こんな状態まで昇華する必要があった、そのように思います。
飲み込み悪目さんを子に持つと、何かと大変だな
子が「分かった」と言っているのにできない現象をどうする、の話はこちらのエントリーをどうぞ。
子のテストの偏差値や素点で親がイラつく事象を検証してみる
では、上記の三菜劇場で、三菜が得点していないといけない問題はどれでしょう?
A、Bはテスト前の時点で「説明できちゃう」問題だったわけですから、得点できないといけない問題です。よって、Bを落としたことはお咎めです。三菜、喝!
ですが、C、D、Eは落として当たり前の問題です。
だってテスト前に「得点可能な状態になかった」のですから、「なんでできないのよ」なんて言われましても、得点できるわけがありません。
今回のケースではテストを受ける時点の状態として「もともとA、Bしか点数の取りようのないテスト」だった。つまり子がどう頑張っても40点満点のテストだった。
それなのに、相対的な立ち位置である偏差値という数字を見て「偏差値が下がった」と嘆いても仕方がないですよね?40点満点のテストなのに、100点満点を基準に「素点が下がった」と大騒ぎしても、意味ないですよね?
だから、飲み込み悪目さんのテストの場合、単純にテストの偏差値や素点オンリーで見てしまうと褒めポイントってなかなか見出せないんじゃないの??…とそう思います。
では、どう評価するか。
仮にこのケースで「A、Bともに正解できた」場合は、我が子の偏差値がどんなにダダ下がりだったとしても
× 「あんなに頑張ったのに全然ダメじゃん」→他人と比べた相対的な立ち位置の状態だけ見てる
〇 「テスト前に完璧だった問題は、ちゃんととれてるね」→子自身の絶対的な基準で見てる
になりましょう。
同じ出来栄えで「なにやってんのダメじゃん」と言われるより「ちゃんととれたね」って言われる方がウレシイに決まってる
親の精神状態だって、そちらのほうがよろしいに決まってます。
ちなみに、先にも書きました通り、どうしてそうなるのかの考え方を説明できてたはずのBを間違えたのはお咎めです。どこでどう間違えたのか、計算ミスなのか、写し間違えなのか、今後はそうならないよう、対策は必ずするが吉。
正答率と子の出来具合を比べて嘆くのってどうよ
ちなみに正答率を見るとこんな感じだったとします。
・B 6割
・C 5割
・D 4割
・E 3割
よくあるお嘆きパターンってこんな感じでしょうか。
「中堅校目指すなら、最低正答率50%の問題はとれないとダメじゃん。Cタイプの問題って半分の人が出来てるってなってるよ。なんでみんなが出来てるのに落とすのよっ」
「あなた、〇〇中目指してるんでしょ?そのためには正答率30%以上の問題であるDタイプの問題はできてないとダメじゃない」
まぁ、これも上記の考えに基づけば、必要のないお嘆きです。
だって、①のケース。Cタイプの問題はテストを受ける時点で「えっと~…と思い出しながら解けるレベル」であって、人に「説明できるレベル」じゃないんですから、テストでとれるわけがないのです。
続きまして②のケース。目標中学に合格するにはそうなんでしょうけど、Dタイプの問題はテストを受ける時点で「ふーん、そうやって解くの、なるほどね」レベルですから、テストで解けるわけがありません。
じゃ、なんならいいの?
テストを「子の理解度を確かめるためのもの」として捉えるならば、テストを受ける時点で説明できちゃう状態だったAとBの問題がテストでちゃーんととれていれば、御の字というもの。
7割の他人が取れてようと、5割の他人が正解してようと、テストを受ける時点で子にとってそれらが「理解が及んでない」問題であればとれなくったってしょうがないのです。
…ということで、正答率と子の出来具合を単純に照らし合わせて「なんで6割の人が正答してるのにうちの子」…と嘆くのは時間のムダ。甚だつまらん時間の使い方なので、今すぐやめましょう。
こみるはこれに気づくのに時間がかかりました。つまらん嘆きモードに陥り、なんなら「ねー、この問題殆どの人できてるじゃん。ヤバいよ?自覚したほうがいいよ?」位のことを三菜に言っていた記憶があります。
ヤバいのは、こみるよ、お前だ。
時間を巻き戻して、あの時のこみるに言ってあげたい。
尚、「AタイプだのBタイプだの言ってるけど、類型化できる問題ばかりでないよ?…じっくり思考させる問題の場合、あるAタイプの問題が説明出来る程出来るようになったとしても、別A’タイプの問題はできないこともあるよね?」という問いに対して。
聞かれてもないのに答えておきますが、思考だなんだ系の問題は正直「飲み込み悪め組」にとってはひとまず関係のない問題なので無視です。華麗にスルー。
飲み込み悪めの場合、基礎的な問題+αくらいの問題だって「説明できちゃうほど理解できた」レベルに満たない問題は山のようにあるのです。思考力問題なんておこがましい。思考系問題云々は基礎的な問題+αがほぼほぼ説明できちゃうほど理解できてから。そう思います。
親のココロの持ちよう+子の評価をするための指標と、最終的なゴールを目指すために参考にする指標を分けて考えてみる
とはいえ、です。
テスト前にできていたA、Bの問題だけできてれば、未来永劫大丈夫、にならないのは当たり前田のクラッカーというもの。善し悪しは兎も角「入試」は他人との争いの側面もあるのは事実ですから、自分だけできないのは、やはりマズい。相対的な見方もやはり必要です。
そして、相対的な立ち位置が分からなければ、どこに受かりそうなのかのメドもたてられませんから、偏差値や正答率を全く無視することはできません。
今度は相対的な見方も必要だとかいっちゃって…なんだか矛盾してないかい?
母集団の立ち位置も、テスト前までの理解度の確認も、全ー部まとめて一つの指標で考えるから諸々おかしな展開になるんであって、必要に応じて指標を分けて考えればよいのではないでしょうか、とこみるは思います。
つまり、「親のココロの持ちよう+子の評価をするため」の指標は「絶対評価」で、「最終的なゴール地点を知り、どうするかを考える」の指標は「相対評価」と、分けて考える。
「親のココロの持ちよう+子の評価」は、偏差値や100点満点の素点でみるのではなく「テスト前に説明出来る程できていたことがちゃんと点となってるか」をみればよい。
100点満点のテストだと思ってるから30点を見ると青くなったり赤くなったりするんです。テストを受ける時点で子にとっては40点満点のテストだったのなら、30点ってすごいじゃない。女優にならなくたって「ほらー!説明出来るように頑張った問題、テストでちゃんと解けたじゃん」って、子を褒めてあげられます。
一方、偏差値は、「最終的なゴールを見据え、相対的立ち位置知っておく。そこに向けて何をどれだけどうすればいいか考えるための」指標と割り切って使えばいい。
正答率も同様。受験本番までに「サラリと解ける問題に昇華したほうがいい問題とその量の目安」として、親が戦略上淡々と把握しておけばよろしい。
「説明できる問題」が多ければ多いほど素点が上がり、結果として相対的な立ち位置である偏差値も上がることは事実でしょう。なので、取れていてほしい正答率の問題がテスト前までに「説明できちゃう問題」まで昇華しきれてないのなら、「えっとねー…問題」と「教えらればほうほうなるほどね問題」を「説明できちゃう問題」側に徐々に増やしていけばいい。それだけです。
ちなみに、少しずつです。
だって、テスト前までの時間をかけ「説明出来ちゃう」までに昇華できなかった問題なんですよ。そんな数多の問題を、どうしてテスト後の数日のやり直しごときで「説明できちゃう」まで一気に昇華出来ましょう?
1週間かけて前転しかできない子が、テスト後の1日でいきなり後方宙返り三回ひねりまでできるように進化するなんて、ないっしょ?
三菜の場合は、テスト前に「説明できちゃう」まで昇華できなかった「えっとねー問題」や「教えられてなるほどね問題」のうち、おおよそ半分の子ができていた問題(※)をピックアップ。
(※) 三菜は中堅校狙いの中学受験でしたので・最終的には4割~5割以上の子が出来ていた問題・親が赤本を見た感触で、できていたほうが良いと判断した問題をピックアップしておきました。
ピックアップした問題を模試の直しのタイミングで一気に全部できるようにはしませんよ。…というかできませんから。時間ないですから。
どうしたかというと、とりあえず「三菜専用問題集(ルーズリーフ)」に格納し、管理しておきます。
そして時間がある時ー週末や、春休みや冬休み・夏休みなどの長期休暇を利用し「説明できちゃう」問題への昇華作業をすこーしずつ、すこーしずつ行いました。
上位校や難関を目指す場合は、この「すこーしずつ」の量が増えるんでしょうかね
絶対評価と相対評価。うまく使い分ければ、心もおだやかに
通塾していると、がんばりの指標として「とりまいい偏差値/いい素点を取る」のが一番目に見えて分かりやすく手っ取り早い。また、そこ気にしないと子のモチベーションも保てませんわ…などの事情もございましょう。
ただ、飲み込みの悪めの三菜は歩みがのろく、「素点や偏差値」という目に見える/相対的にわかる成果になかなかたどり着かないことが多かった気がいたします。
ですから、「素点や偏差値/正答率と我が子の出来栄え」という指標だけで評価しようとすると「できない」負の感情一択になりがちでした。
ですがね。
飲み込み悪めさんの場合、「最終結果」である偏差値や素点、正答率と比べたときの自分の出来具合『だけ』に着目すると前進していないように見えるけれど、勉強する前の本人と比べた場合「説明できるくらい理解できるようになった」問題だってあるんです。
「この問題は練習でスラスラ説明できるようになって、今回は得点できたよ」という日々の努力ー少しずつ前へ進んでいるという事実ーは褒めてほしいと子は思うだろうし、親もちゃんと見てあげればいい。というか、そこ、ちゃんと見てあげないと、飲み込み悪目の子については気の毒だとこみるは思います。
大人だって、仕事で今月何万円受注できたのかという目に見える最終結果ばかり評価され、日頃の努力で今後につながるクライアントを少しずつ開拓できたことを全く評価されなかったら「なんだよ」と思うでしょう。
多分、子供だって大人と同じ。素点や偏差値をみて親に溜息をつかれたり、怒られたり、努力が足りないだの言われたら「なんだよ」と子が思うのは当然ではないでしょうか。少しの歩みでも認められたら、子はうれしいものです。
ちなみに子の傍で勉強を見ていると、目に見えにくい/数字に表れない歩みがよく分かります。
「勉強を家で教えてはいけない」と言われがちな中学受験ですが、そういう目に見えにくい一歩を褒めてあげられるのは傍で親が勉強をみているからこそという面もあるので「すべからく親が勉強をみてはいけない/スケジュール管理に徹せよ」という意見には懐疑的な気持ちになります。
ー話がそれました。
だから、偏差値という数字が上がった下がった/クラスが上がった下がったという事象で「なにやってるの」と子を咎め、親が落ち込んだり、ヒステリーを起こし、血圧を上げたり下げたりする必要はない。
親のココロの持ちよう+子の評価としては、絶対評価である「テスト前にできていたことがちゃんと点となってるか」。ここを見てあげれば十分。
ゆうてもね。
いくら飲み込み悪めの子の親だって、衝撃の数字がぱっと目に入ったらドキーンとしますがな
それは仕方ないですよね。人間だもの。
気持ちとしてなかなかそうはいかないのはすごーくわかります。
ただ、見るべきポイントを変えて、親自身が絶対評価と相対評価をうまく使い分ければ、無用な怒りのエネルギーを使うことは極力少なくて済みますし、子もハッピー。
結果として、テスト後の親子のギクシャクも減りましょう。
…と三菜の受験を通してこみるはそう思った次第。
だって、目的を思い出してください。
模試でいい成績をとる事を最終目的として勉強してるんでしたっけ?
コースをキープする事を最終目的として勉強してるんでしたっけ?
否、最終的に志望校の問題が入試本番でとけることだと思います。
偏差値や素点・正答率と我が子の出来具合は、軍師のデータとして理解しておけばいい。そして、それらを元に、いつ・何を・どのようにやるか考え、今後の子の勉強に活かせばよいだけです。
ここは見失いがちなのでこみるもいつも自分に言い聞かせていました。
…まぁ、すぐ忘れちゃうんですけどね。
一喜一憂して、アホなんか?…こみる。
自分自身の反省と…飲み込み悪目の受験生をもつ親御さんに、とどけ!!
偏差値が急上昇!でも要注意
逆に偏差値が急上昇したときは「うちの子、努力が報われてできるようになったんじゃね?」気分になります。このまま、ぐいぐい上り詰めてGO!…なんて妄想したりして。
子が幼めさんですと「私、もしかしてイケてる?もしかしてジーニアス!?」と有頂天に。
優秀なお子様はさておき、普段飲み込み悪めの子の場合、これはちょっとちょっと落ちつけ、要注意です。三菜の場合6年春の模試がそうでした。
一応、褒めますよ。
頑張って解いた問題が解けてたね、と。
ですが、軍師としてはうかれ気分で見逃してはいけません。
この時の模試を分析すると、例えば算数において、いわゆる「ふーんなるほどね」レベルの理解度の問題がうっかり解けていての高偏差値だったりしたのです。しかも乱高下の国語がまさかの「高」の回だったり。
解けてりゃいいじゃんよ
そうはまいりません。
そんな「たまたま解けちゃったラッキー」が入試で己に必ずやってくる保証はどこにもありませんからね。
だから子のことはとりあえず絶賛しておき、「ふーんなるほど」問題だったけどたまたま解けてしまった問題は裏で母がコッソリ「三菜専用問題集(ルーズリーフ)」に格納しておき、長期休みに徹底攻略、説明できる問題まで昇華させるようつとめました。
勿論、どの問題も「説明できちゃうもんね」問題での高得点・高偏差値なら、子の実力は太鼓判!
次回は模試の合格可能性で嘆いてはいけない話について書きたいと思います。
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